桜とあなた 〜Once again〜

三題噺 お題 「桜」 「紅茶」 「フルムーン」 より

「それじゃ、行ってきます。」
誰もいない部屋に自分の声だけが響きわたる。
4年間お世話になったこの部屋とももうすぐお別れだ。
この挨拶も後何回できることやら…。俺はそんなことを考えながら扉を閉め、鍵をかけた。
空を見上げると、漆黒の闇夜に綺麗な白い満月が輝いている。
そんな満月に見惚れていると、暖かい風が早く大学に行こうと髪を撫でた。
愛車プリン号に飛び乗ると、丘の上にある大学に向け力強くペダルを漕ぎ出す。
共に4年間戦い続けたプリン号。スピードはあまり出ないが、コーナーリングには光るものがある。
少しばかり錆びたチェーンのきしむ音を聞きながら、心臓を切り裂くような坂道を登り終えると通い続けたキャンパスが見えてきた。
桜ヶ丘大学。
大学の創設者がこの丘に咲き乱れる桜をいたく気に入ったことがその所以だそうだ。
まだ3月だというのに、暖かい気候のおかげで満開には程遠いものの桜は綺麗に咲いている。
桜の木々によって作られた自然のトンネルをくぐって、駐輪場へプリン号を走らせる。
この時間帯、さすがに駐輪場に止まっている台数は少なかった。
プリン号に別れを告げ、俺は紅茶愛好会の部室を目指す。
もう来ることもないと思っていただけに、部室へ向かう足も少し遠慮気味だ。
部室のドアをノックすると、聞きなれた声が返ってくる。俺は一言挨拶するとドアを開けた。
「おーっす、皆こんばんは。」
みんな今日のお茶会の準備をしているところだった。
紅茶の葉を詰め替えている後輩も居れば、人数分のティーセットを確認している後輩もいた。
「あ、相川さん。こんばんわ。早いですね。」
そう話しかけてきたのは、俺たち4年が卒業した愛好会の後を次いだ3年の林哲也だ。
「そっか?何か手伝えることあればと思って来たんだけどな。」
部屋を見回すが、みんな忙しそうに動き回っている。
「いやいや、今日はうちらが先輩たちをもてなす日ですから。会場のほうでゆっくり待っててくださいよ。」
林のメガネがキラリと光った。
「あ、相川さん。会場に行くならちょっと待ってください。」
そう言って、ひょこっと愛くるしい顔を出したのは同じく3年の羽崎翔子ちゃん。
紅茶の葉っぱが入ったビンをいくつも抱えながらフラフラと近づいてくる。
「翔子ちゃん、危ないから少し持ってこうか?」
「だ、大丈夫ですっ。このくらい、なんとか…っとっと、わあ!!」
そう言うのでしばらく様子を見守ってみるが、足どりが危ない。このままでは会場へ着く前にビンを割ってしまいそうだった。
「やっぱり持つよ。会場まで荷物運ぶから、他にも持ってくものあったら頂戴。」
ひょいっと翔子ちゃんの手からビンを取り上げる。
「あう、すいません。じゃあお願いします。」
申し訳なさそうに翔子ちゃんが微笑む。
俺がビンを持つと、翔子ちゃんは砂糖やらミルクやらが入った容器を持って、後をついてきた。
「じゃあ、会場まで一緒に行きましょうか?相川さん。」
彼女のから香る香水の臭いに少しばかりドキッとしながら俺は歩き出した。
2人で肩を並べて歩いていると、去年のことを思い出す。
翔子ちゃんと俺で新入部員の勧誘に同じように歩いたっけな…。
「相川さん、この場所ですよ。覚えてます?」
どうやら翔子ちゃんも同じことを考えていたらしい。
2人で立ち止まって広場を見渡す。広場の中心には噴水があって、4月になればここもサークルの勧誘やらで賑わうことだろう。
…そういや思い出した。去年はあいつも一緒だったな。
「ああ、覚えてるさ。俺と香織と翔子ちゃんで新入部員の勧誘したよな。まったく、あの時は大変だったよな。」
「そうでしたね、風が強くて勧誘どころじゃなかったですもんね。」
「そうそう、それなのに香織のやつは絶対やるんだーって言ってテントにしがみついてて…困ったもんだ。」
「久住さんが一番やる気でしたからね。でも、そのおかげで今の一年生たちが居てくれるわけですし。感謝ですね。」
「ま、結果としては良かったけど、正直テントが崩れそうで危なかったからな。こっちはドキドキもんだったよ。」
久住香織…この愛好会の生みの親で、愛好会長でもあったやつだ。
紅茶のことに関しては誰も負けないという絶対の自信と腕を持っている。
確かに香織の入れる紅茶は真似できないほど美味しい。実際、香織の入れる紅茶に惚れて入ったやつも中にはいる。
「あ、久住さんも今日来ますって。何でもとっておきの紅茶を持ってきてくれるみたいですよ。」
翔子ちゃんの嬉しそうな顔。そういえば香織の入れた紅茶をしばらく飲んでないことに今気付いた。
「そっか、そりゃ楽しみだな。」
「私も実は自分で紅茶作って持ってきたんですよ。後で飲んでみて下さいね。」
「翔子ちゃんも?今日は楽しみがたくさんだな。」
「そうですよ、なんたって追い出しお茶会ですからね♪」
「お腹タプタプにならなきゃいいけどな。それが心配だよ。」
そうそう、今日はお茶会でもあり、うちら4年を送り出してくれる日でもあるのだ。
どうして今日に決まったのかというと…まあ、それはまた後にでも。
そんなこんなで、翔子ちゃんと話をしながら歩いているとお茶会の会場が見えてきた。
桜の木が多く生えている広場から、さらに踏み入ったところにその場所はある。
入り口は少々狭いが、そこを抜けると開けた場所に出る。
桜も月も綺麗に見れる場所だ。
会場にはすでにテーブルがセットされていた。テーブルクロスは辺りに咲く桜に合わせたのかピンク色だ。
「相川さん、じゃあそのビンたちをテーブルにおいて貰えますか?」
少々景色に見惚れてボーっとしていたところを急に現実に引き戻された。
「あ、はいよ。じゃあこっちに置いとくね。」
ビンを置いて、あらためて景色を眺める。
夜の闇に咲く桜、その桜を照らすかのように優しい月の光が降り注ぎ、一瞬違う世界に紛れ込んでしまったのではないかと思ってしまう。
しばらく夜の風の音を聞きながら、その世界に浸る。
気付けば翔子ちゃんも同じように目を閉じて、全身で感じ取っているようだった。
「素敵ですよね…。」
「そうだな…。」
お互いにしばらく沈黙するが、気まずい沈黙とは違い、心地よい時間を共有するとても気持ちのいい沈黙だった。
しばらくした後、翔子ちゃんはハッと気付いて、あわてて準備を再開しはじめた。
「ご、ごめんなさい。すっかり忘れちゃってました。」
「いいって、いいって。」
他の人たちが来るまで、俺たちは会場の準備を進めた。

しばらくすると、懐かしい人たちがやってきた。
卒業した4年もそうだが、この紅茶愛好会の活動場所を確保してくれた教授まで来ている。
卒業してからもう遠くに引っ越してしまった人であっても、この日のために来てくれるというのは涙ものだ。
気がつけば、会場はいつでもお茶会を開始できる雰囲気だ。
「みんな揃いましたか?いない人は手を挙げてくださいー。」
林がみんなに確認を取る。
「はーい!俺いませーん!!」
しまった、思わず手を上げてしまった。普通ならここで気まずい空気が流れるところだが…。
「いるじゃーん!!」
どこからともなくツッコミが入り、笑いが起きる。これがうちの愛好会だ。
よかった、ツッコミが入って…と少々安堵する。
「あと久住さんが来れば全部ですね。」
翔子ちゃんの言葉にみんなが久住はまだかーとコールする。
すると、その言葉が聞こえたかのように香織が荷物を持って走ってきた。
「やっ、みんなごめんごめん。思ったより時間かかっちゃった。」
申し訳なさそうに手を合わせる香織。よほど急いで走ってきたのだろう。肩で息をしていた。
待ってましたとばかりに周りのテンションも最高潮だ。
と、香織がこっちを見てウィンクする。
俺はそれに軽く手を上げて答えた。
「じゃあ、さっそくですが前同好会長の久住さんにお茶会の開会式をしてもらいたいと思います。」
林の言葉に香織は聞いてないよと、焦っている。
照れながらみんなの前に立つと、静かに喋りだした。
「えー、このお茶会は満月の日にやるのが恒例となっているのは皆さんご存知だと思いますが、
今日は偶然にも桜も咲いてくれてます。そんな日に皆さんとまたこうして集まって会えることは本当に幸せです。
そんな素敵な時間と場所に今一緒に入れることに乾杯!!」
「乾杯ー!!」
みんな手に持ったお酒をグビグビと飲んでいく。
俺も同じように飲んでいると、香織が近づいてきた。
自分の持ってる缶を俺の缶にぶつけ、挨拶の代わりにする。そして俺の横に座り込んだ。
「耕介、元気だった?」
酒のせいなのか化粧のせいなのか、薄紅色に染まっている香織の顔を見て俺はドキッとした。
「まあ、これから引越しで忙しくなるけどボチボチ元気でやってるよ。」
「ふうん、じゃあこっち関係は最近どうなのよ?」
香織はニヤニヤと小指を立てる。
「バッ、お前もう酔っ払ってるのかよ?いくらなんでもその話の振りは早すぎだぞ。」
思えば出会ったときから香織はこんな感じだったな。
自分の言いたいことはどんな時でもしっかり言う。俺が見習いたい所でもそれはあるのだが…。
「酔っ払ってなんかないわよ。ただ私は耕介のことを思ってだねえ。」
「はいはい、余計なお世話ですよ。久住元会長。」
「あーら、相川元副会長。随分と冷たいじゃない。遠路はるばるやってきたのにそんなんじゃ私泣いちゃうわよ。」
香織はおよよと泣く真似をしている。まったく変わってないな。
香織と出会ったのは大学に入って間もない頃だった。
たまたま講義を受けていた席が隣で、俺がたまたま友人から借りていた…というよりは読んでみろと言われて
読みたくもなんとも思っていなかった紅茶の本に香織が気付いて話しかけてきたのが始まりだ。
最初はただの紅茶バカだと思ってたのに、だんだんとその紅茶にかける思いやその姿に惹かれていって…。
気付けば俺自身も紅茶が好きになっていて、紅茶愛好会の旗揚げメンバーになってたなんて本当不思議なものだ。
「遠路はるばると言えば、関本君にでも会ってきたのか?」
関本というのは香織のいわゆる恋人だ。高校時代に付き合い始めたらしいが、1年浪人してどこか別の大学に通っているらしい。
「あー、隆行のことね。まあ、いいのいいの。あんなバカのことは放っておいて。」
まだ紅茶愛好会が設立する前、俺は香織のことがが好きになっていた。だが、その時に彼氏がいることを知らされることになる。
思いを伝えようとはしたが、仲良くなりすぎたのがいけなかった。
いや、仲良くなりすぎたというよりは告白する時期を逃してしまったんだろうか。
告白してしまうことで、ダメだった場合お互いの関係が終わってしまうのではないかと思ったのだ。
…なんてことはない。俺はただの腰抜けなんだと思う。
今だって、こうして香織を目の前にすると忘れようとしていた気持ちが蘇ってくることがある。
いや、きっとまだ好きなんだろうな…。我ながら女々しいと思い俺はため息をついた。
「ちょっと、何しんみり考えこんでいるのよ。」
やばっ、香織はこういう話にするどいんだった。
「いや、香織ももっと関本君のこと大事にしてやれよ。だってお前にメロメロなんだろ?」
慌てて話題を振りなおすが、自分も酒が回ってきたのだろうか?自分でも何を言っているのかよくわからなかった。
「うーん、そりゃそうなんだけどさ。うーん、やつは過保護すぎなのよね。ときどきそんなところが面倒くさいと思うこともあるのよ。」
「それだけ好きなんだろう。お前のことが。」
「ちょっと、だから私のことはいいから耕介の近況を教えなさいよ。」
香織が右手で俺の頭を小突こうとする。それを俺はひょいっとよける。
避けられたのが悔しかったのか、再び香織は手を出してくる。
ひょい、ひょい、ひょい、ひょい、ひょい、ひょい。
我ながら見事な感じでその攻撃を防ぐ。香織は悔しさのあまりふくれっ面になってしまった。
「もう!耕介のバカー!!」
まるで駄々っ子だ。こうなったら香織に適う者はいない。
「私が耕介のことを知りたくて何が悪いのよ。私だって…私だって…。」
弱々しく俯く香織。ちょっとやりすぎたかと思って近づくと…
「で、翔子ちゃんとはどうなの?」
これだよ。
「なっ、なんでそこで翔子ちゃんの話が出るんだよ。」
「だって、私以外に耕介が名前で女の子呼ぶのってあの子ぐらいだもの。そんなに悪い気はしてないんじゃない?」
「変なところ観察してんじゃないよ。俺は―。」
そう言いかけて口を閉じた。危うく本心を口にしてしまうところだった。
「はあ、いい子だと思うんだけどなー。絶対に耕介に気あるし…そろそろちゃんとしてあげたら?
あの子も人気があるんだから。捕まえておかないともういい人現れないかもよ。」
人の気も知らないで。俺はお前のことが好きなんだよと言ってしまえたら楽になったろうに。
「隊長、善処しておきます。」
「もう、可愛くないなぁ。」
香織は紅茶を入れる準備をするために立ち上がった。
「さてと、じゃあまた後でね耕介。」
「ああ、後でな。」
香織の後姿を見送り、俺もゆっくりと腰を上げる。
「俺も紅茶を入れる準備をしないとなー。」
他の人たちもだんだんと準備に移っている。そう、お茶会はこれからが本番なのだ。
満月の日に積んだ葉で紅茶の葉を作ると、より美味しいものが作れると言われている。
このお茶会も、それだったら満月の日に入れた紅茶だって美味しいはず。
という香織の思いつきから始まったものだ。
実際のところ、本当に美味しくなるのかはわからないが、満月の下で飲む紅茶というのは普段よりも美味しいような気がする。
と、俺の袖をくいくいと引っ張る誰かがいる。
後ろを振り向くと、頬にその人の人差し指がぷにっと当たった。
我ながら随分と古典的な手に引っかかってしまったと動揺する。
「あ、あの相川さん。私の紅茶飲んでください。」
そこに居たのは翔子ちゃんだった。

ゆっくりと翔子ちゃんが紅茶を入れるのを待つ。
コポコポとお湯の中で葉っぱが踊り、綺麗な色が広がっていく。
自分もそうだったが、翔子ちゃんも入ったときは紅茶の入れ方なんてまったく知らなかった。
それを思えば上手くなったものだなと感心してしまう。
葉が充分に蒸れてから、ティーカップに紅茶を注ぐ翔子ちゃん。
注がれたカップから白い湯気が夜空に立ち上っていく。
「できました。どうぞ飲んでみて下さい。」
そんなことを思ってるうちに紅茶が入ったらしい。
「ありがとう。」
翔子ちゃんの手から紅茶を受け取ると、まずはその香りを楽しんでみる。
爽やかな甘い香りが鼻を通り抜けていく。
そしてゆっくりとティーカップに口をつける。
熱くもなく温くもないちょうどいい温かさの紅茶が口の中に流れ込んでくる。
甘さと渋みの中にちょっとした酸っぱさにもにた爽やかな味が存在する。
「うん、美味しいよ翔子ちゃん。すごく爽やかな味がする。」
「本当ですか?よかったー。実はオリジナルの紅茶なんですよ。」
「あ、そうだったんだ。どうりで珍しい味がすると思ったよ。でも何を使ったの?」
習慣というものは恐ろしい。店で紅茶を飲むときにも利き茶をするようになってしまっている。
「今回のはブレンドに使ってるのはメインがアールグレイなんですけど、それにピーチとオレンジを入れて
そして隠し味としてパンジーの花を使ってみました。」
その言葉に思わず耳を疑う。
「パ、パンジー?」
個人的には紅茶に入れるものではないと思っていたのでビックリしてしまった。
「相川さんが言いますように何事もチャレンジだと思いまして、そしたら意外にいけたんですよ。」
えへへと翔子ちゃんは笑う。
うーん、自分でもそんなこと言ったっけな?
翔子ちゃんの笑顔を見ていたらさっき香織に言われたことを思い出した。
確かにこの子の明るくて真っ直ぐなところは俺も好きだ。
優しくて温かくて、細かい気配りができる子だ。多少ドジなところはあるけど…。
将来この子の隣に居る男性はきっと幸せ者だと俺は思った。
「相川さん、私の顔に何かついてます?」
翔子ちゃんがドギマギしながら話す。どうやらまたボーっとしてたらしい。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事してたんだ。翔子ちゃんのこと。だいぶ紅茶入れるの上手くなったなーって。」
「そんな、まだまだですよ。久住さんや相川さんの入れる紅茶には負けますよ。」
「香織はとにかく、俺の紅茶なんて褒められるほどのものではないよ。」
「相川さんの入れる紅茶は気持ちがすごく紅茶現れてるんです。なんていうんでしょうか、すごく温かくて包み込んでくれるようで
そして、なにか切なくさせるようで。」
まいったな。俺の紅茶にそんな評価が下っていたなんて。さすがにちょっとばかり恥ずかしくて返す言葉が見つからない。
「だから、そんな相川さんの紅茶が私の目標なんです。」
「ありがとう、翔子ちゃん。」
細かい言葉はいらない。ただ素直にそう思ってくれていることに対してのお礼が言いたかった。
「あの、相川さん…私…。」
翔子ちゃんが俺に何かを伝えようとして口ごもる。同時に俺の心臓の音も大きくなる。
月の光とそれに舞う桜の花びらが翔子ちゃんをライトアップする。
不意に、自分がこの場にいることが恥ずかしくなってきた。
香織への想いを断ち切れないまま、この子の想いを聞いてはいけない…。
聞いてしまえばきっと自分の気持ちがぐしゃぐしゃになってしまうことがわかっていた。
手は震えて、心臓はもはや爆発寸前だった。
「私、相川さんのこと…・。」
翔子ちゃんがその先を言おうとしたその時、意外な人物によってその会話は終わることになる。
「あー、2人ともこんなところに居たの?」
香織だった。
「あっ…。」
香織は自分がしてしまったことの気まずさに気付いたらしい。声を失ってその場に立ち尽くしていた。
翔子ちゃんもあまりの出来事にどうしていいかわからないようだった。
このままではいくらなんでも気まずい。俺はなんとか場をどうにかしようと香織に話しかけた。
「なんだよ香織。どうかしたのか?」
体が震えていたが、声までも震えないようにゆっくりと落ち着いて話す。
「あ…えーと、私の紅茶をそろそろ入れるから集まってもらおうと思って。」
そっか、香織も自分のオリジナルを持ってくるって言ってたっけな。
「おう、今行くから少し待っててくれ。」
「うん、わかった…。」
そう行って香織は去っていく。いつもなら早く早くと急かすのだけど、さすがに今ばかりは元気がなかったように見えた。
「翔子ちゃん、行こうか?」
そう言って翔子ちゃんの方を見る。
翔子ちゃんは残念そうな顔をしていた。
「そう…ですね。あの…相川さん、相川さんが仕事始まってからも電話とかメールしてもいいですか?」
「ああ、もちろん。今までどおりよろしく頼むよ。」
「本当ですかっ?約束ですよ。」
そんな俺の返事に嬉しそうな顔をする翔子ちゃんの顔を見てさすがに心が痛い。
ごめんな、翔子ちゃん。ちゃんと聞いてやれなくて。

翔子ちゃんと一緒に広場の方へ行くと、みんなが香織の周りに集まっていた。
ちょうどこれから紅茶を入れるらしい。
「あ、来た来た。遅いぞ2人とも。」
そう言いつつ、香織は袋の中から紅茶の葉を取り出した。
いつもと同じように手際よく作業をしていく香織。ゆっくりと急ぐことなく作っていく。
その入れ方に大きな特徴はないが、何故か香織の姿に見惚れてしまう。
それは俺だけでなく、他の人も同じだった。
みんな出来上がるのを楽しみにしながら香織を見ていた。
「はい、出来上がり。みんな手にとって。」
みんな言われるがままに紅茶の入ったカップを手に取った。
「みんな行き渡った?そしたら中覗いて見てくれる?」
中を覗いて驚いた。透き通るような赤い紅茶の色…その中心に透明な月が浮いていた。
一瞬、頭上に輝く満月が紅茶に映っているのではないかと思ったがそうではなかった。
透明状の何かで作られたものが紅茶の表面に浮いていたのだった。
よく見ると中には桜の花びらが閉じ込められていた。
あまりに綺麗なその光景に、俺だけでなく他の人たちも言葉を失っていた。
「中に桜の花が入った月が浮いてると思うけど、それをスプーンで紅茶と混ぜてから飲んでね。」
どうやらやはり月を意識して作ったらしかった。
言われるがままに、スプーンでかき混ぜるとだんだんと月が紅茶に溶けていく。
何かのシロップをゼリー状にして固めていたのだろうか?しばらくすると、桜の花びらが紅茶の表面に浮いてる状態になった。
どんな味がするのだろう…俺はゆっくりとその味を確かめることにした。

「…………。」

まいった。
香織の紅茶に俺の思考は完全に吹っ飛ばされた。
もはや美味しいとどうとかそういうレベルじゃない。
この紅茶を何かで例えようとすることなんてできるのだろうか。
それくらい今まで飲んだどんな紅茶よりも、この紅茶は素晴らしかった。
どうしたらこんな紅茶が作れるのだろう。
そんなふとした好奇心から、紅茶を飲む手が止まっていた。
他の人たちもあまりの美味しさに、無言になる人もいれば、ため息をつく人、一心不乱に飲む人とそれぞれだった。
香織の方を見ると、みんなが美味しそうに飲んでくれているのを見てニコニコしている。
俺の視線に気付いたのか、香織がこっちに寄ってきた。
「どう?気にいってくれた?」
「気に入るもなにも…最高だよ。例えようがないくらい。」
「ありがと、そう言ってくれると嬉しいな。」
香織はVサインを作ってみせる。滅多にVサインなんてしないだけに相当の自信作だったのだろう。
「どうやってこんな紅茶思いついたんだよ?」
「うーん、思いついたというかね、満月のような大きくて綺麗で、神秘的で抱えられないくらいの想いを紅茶で表現したかったの。」
「お前のすごいところはそれを本当に表現してしまうところだな。まいったよ。」
「こら、褒めても何も出ないぞ。」
「まあ、何か出してもらっても困るけどな。」
「パーンチ。」
香織の繰り出すパンチをひょいっと避ける。
「そういや紅茶の名前は?」
「…フルムーン。」
フルムーン…満月か。さっき表現したかったって言ってたし、ピッタリの名前だと思った。
満月の日に、満月の紅茶…いかにも香織らしかった。
しばらく香織の紅茶をみんなで楽しんだ後、お茶会は終了した。

「悪いね、耕介。荷物運んでもらっちゃって。」
「あー、いいっていいって気にすんな。」
香織の紅茶の道具をプリン号に乗せ、俺は香織と一緒に歩いていた。
俺の住む場所と香織の住む場所は意外と近くだ。もう少し話もしたかったし、2人でゆっくりと帰り道を歩いている。
卒業する前も何かと一緒に帰ったり、遊んだりすることが多かったけな。
「耕介はあとどれくらいで引っ越すんだっけ?」
「俺は今度の月曜に引っ越すよ。香織は?」
「私は3月ギリギリまでここにいるよ。そっか、耕介は私よりも早く引っ越しちゃうんだ。」
「3月ギリギリって、随分残るんだな。早く引越ししないと手続きとか大変だぞ。」
「あー、手続きとかはもう終わってるんだ。だから、あとはゆっくりとここで過ごすだけ。この町が大好きだからね。」
「まあ、なんだかんだ言って4年間も住んでたからな。俺も離れづらいと言えば離れづらいな。」
坂とかが多いが、花や木が多くあるこの町が俺たちは大好きだった。
卒業後は別々の土地で働くことになる。
香織への気持ちもまだ引きずってる俺にとって、思い出がたくさんあるこの町と別れる事は少しつらいことだった。
お互い、引っ越してからのことや、昔のことを考えてるのだろう。しばらくの間無言で歩いていた。
「…そういえば、さっきはごめんね。邪魔しちゃって。」
唐突ではあるが、ごく自然な流れで香織が話す。
「気にするなよ。大丈夫だから。」
「大丈夫って、じゃあちゃんと翔子ちゃんに応えてあげたの?」
その言葉に返す言葉が浮かんでこない。自然と足も止まってしまう。
香織も俺がしっかりと返事をしなかったことに気付いたのか、少々怒り気味の顔でこっちを見る。
「ちょっと、何中途半端なことしてんのよ!あの子…耕介のこと本気で好きなのよ。」
どうして香織はこんなことを言うのだろう。確かに俺たちは友達だ。心配してくれるのもわかる。
でも、自分が好きな人から言われるのは辛かった。
「応えられるはずがないだろ!俺は…。」
またしても言葉に詰まる。
「耕介、言わないと伝わらないことや、伝えないと変われないこともあるんだよ。
翔子ちゃんはあなたへの想いをこのまま引きずることになるかもしれないんだよ。
例え、よくてもダメでも伝えたことで、そこから前に進むことができるんだから…。」
香織の言いたいことはすごくわかる。俺は、今の俺と同じ気持ちを翔子ちゃんにさせてしまっているのかもしれない。
「耕介は優しいけど、そういうところはハッキリしないとだめだよ。」
「すまん、ダメだな俺って。」
そんな言葉しか出てこない。香織への気持ちを引きずってる自分、自分を好きでいてくれる子を悲しませてしまった自分。
やるせなくなって俺は空を見上げる。夜空に輝く満月があざ笑うかのように俺を覗き込んでいた。
「でも…優しい耕介のことは私は好きだけどな。」
その言葉に俺は苦笑いする。
「…ありがとな。今度翔子ちゃんに会ったらちゃんと話するよ。俺自身も前に進めるように。」
「うむ、それでよろしい。」
香織はイタズラっぽく笑う。
…香織に想いを今伝えよう。でないときっと後悔する。俺はそう思った。
もし今言わないと、変われないかもしれない。
「香織、俺―。」
そう言いかけた時に香織が何かを思い出したように叫んだ。おそらく俺の言葉は聞こえてなかったかもしれない。
「あー!そうだ、耕介。あなたにプレゼントがあるのよ。」
香織は何やらバッグからごそごそと取り出す。
そこから出てきたのは、あのフルムーンの詰まった袋だった。
透明な袋からは綺麗に詰められたそれが見える。
「これって、さっきのフルムーンだろ?いいのか?貰っちゃっても。」
「うん、いいの。耕介に貰って欲しいから。」
「ありがとう、香織。」
俺は袋を受け取る。紅茶の葉しか入ってないはずなのに、重く感じるのは気のせいだろうか。
もうすぐ香織の家に着いてしまう。言うならここしかない。
「香織、俺お前に言っておかなきゃいけないことがあるんだ。」
「な、何?改まっちゃって。」
香織もなんとなく落ち着かない素振りをみせている。
まあ、好きになってから大分時間も経っているし、ばれててもおかしくはないか。
「俺、香織のことを―。」
その言葉を遮るように香織が言葉を発する。
「ダメ!お願い、言わないで。」
真っ直ぐに俺を見つめて――それは拒絶の意思。
俺は言葉に詰まるが、言わなければ前に進めない。進みたいからこそ言わなければならない。
「聞いてくれ、香織。」
しかし、香織は弱々しく俺に言う。
「ダメなの。耕介。自分からあんなこと言っといて。ごめんね。今は耕介の言いたいことを聞くわけにはいかないの。」
顔を俺から背けてしまう香織。俺は肩をぐいっと引っ張ってこっちを向かせようとした。
―――香織は泣いていた。
「ごめんね、耕介。ごめんね。今は本当にダメなの。」
今はダメ…何がダメなんだろうか。だが、泣いている香織を目の前にして俺は何もいうことができなかった。
その後、お互いずっと黙ったままでゆっくりと歩きなれた道を歩いた。
そして、香織と別れる場所にたどり着いてしまった。
しばらく何も話さずに、壁に寄りかかり2人で空を見上げていた。
何分、何十分…いやひょっとしたら何十秒かもしれない。そんな風に感じる時間を過ごした後、どちらからともなく口を開いた。
「じゃあ今度は会うとしたら5月のOB会でだな。」
「そうだね、また美味しい紅茶作ってこなきゃ。」
「またメールでもするよ。」
しばらくはとてもそんな気分に慣れないが、口に出てしまった。
「うん、待ってる。あ…耕介。」
香織が何かを言いたそうな目で俺を見る。何かを少し考えているようだったが、少し時間が経った後口を開いた。
「ありがとね!」
いつもの調子で笑う。そんな香織に俺もいつもの調子でおうっと返事をした。
「それじゃ、またな。」
「うん、またね。」
お互いに背を向けて歩き出す。自分が左足と右足のどちらを先に出しているのかわからなかった。
後ろを振り返りたい衝動に駆られるが、振り向くわけにはいかない。
時折、香織のことが頭の中を過ぎるが考えないように頭を振る。
そのまま、俺は家までプリン号を引きずるように歩いた。
部屋に帰るやいなや、そのままベッドに倒れこむ。
見慣れた天井の模様が滲んで見えるのは、自分が涙を流しているからだった。
「情けねぇ。」
視線を天井から横に戻すと、香織のくれたフルムーンの袋が目に入った。
ベッドから体を起こしておもむろに手に取る。
香織がくれた紅茶…袋を上下にして葉がサラサラと流れるのを眺める。
ふと袋の下に何かが張り付いてるのに気付いた。
何かと思い、見てみると折りたたまれた手紙だ。香織がつけたのだろうか?
手紙を外し、開いて見てみる。するとそこには見慣れた香織の文字があった。
「・・・・・・・・香織。」
そこには俺に対する香織の気持ちが書かれていた。
俺の気持ちに気付いていたこと、翔子ちゃんのこと、そして香織と関本君のこと…。
翔子ちゃんから俺のことで相談を受けたこと。それを素直に喜べない自分がいること。
俺の気持ちに気付いて、関本君に対する気持ちが少し変化したこと。
関本君に対する気持ちにきちんとけじめをつけないうちは、俺に向き合えないこと。
そんな正直な気持ちが書かれていた。
俺の気持ちを伝えようとしたあの時の香織のとった行動の理由が、今やっとわかった。
香織もまた悩んでいたのだ。
そして、最後に紅茶のこと…フルムーンについて書かれていた。
この紅茶は俺に対する気持ちを紅茶にしたものだと。
『うーん、思いついたというかね、満月のような大きくて綺麗で、神秘的で抱えられないくらいの想いを紅茶で表現したかったの。』
月のように欠けてた想いは徐々に大きくなり、そして満月となって満ちる。
そんな願いを込めた紅茶だそうだ。
そしてフルムーンに使われている桜は「貴方を見つめている」という花言葉だということも書いてあった。
香織が目の前にいるわけではないのに、目の前で話されているような気がして顔を上げることができない。
上げてしまうと、「バカ耕介、顔上げるなっ!」といつものパンチが飛んできそうだった。
突然の夜の風がカーテンを揺らす。窓からは満月が見えていた。
今は揺れ動いているこの気持ちでも、いつかは満月のように確かな形となるだろうか。
そして、その時は…もう一度想いを伝えたい。
結果がどうなろうとかまわない。ただ、あいつに対する想いを…伝えたい。
開いている窓から桜の花びらが迷い込むように部屋の中に入ってくる。
俺はその花びらをそっと優しく手で受け止めた。






あとがき
当時の大学の友達からもらったキーワードを元に考えた物語です。
男女関係なく、信頼できて友達でいられる関係というのに憧れて書いていた記憶があります。
いつかこの物語のちょっとだけ先の話も書きたいなーと思っています。
時が経つにつれて、連絡を取る人が限られてきたり、連絡が取れなくなってしまうということもあると思います。
今はもう連絡を取る手段がなかったとしても、なんだかんだで元気にやっていてくれればと思うばかりです。
今はそれぞれ別々の道を歩んで、その道が交わることはない。
ただ思うのは、あの時もっと違うことを言えていたら…というたられば。
ありがとう と これからもお互い頑張っていこう ともう一度伝えたい友達を、この話を読むと思い出します。

    BACK